紀元前4世紀ごろ、大陸から伝わってきた水稲耕作と青銅器、鉄器が特徴的な農耕文化が九州北部でおこりました。
この頃に使われていた赤褐色の硬い弥生土器から、弥生文化と呼ばれます。
盛んな交易
農耕が始まると、用途ごとに様々な土器や鉄器が作られるようになりました。
瀬戸内海などで生産される塩なども合わさり、各地方で交易がおこなわれていました。
階級社会
農耕も仕組み化がすすみ、安定して生活が向上すると、貧富の差が生まれてそして身分が分かれるようになりました。
そして、農耕に必要な治水、灌漑などの共同作業を水系単位で地域をまとめる首長が台頭してきました。
地域のまとめ役だった首長は小国の長となり、日本各地に100余の国があったとされています。
倭国大乱
弥生時代後期になると、多数の小国ができました。この小国同士の争いが起こるようになります。
列島規模での争いに発展し、日本史上初の大規模な戦争となりました。
争いは70〜80年続きましたが、邪馬台国の卑弥呼を女王とすることで国中が治りました。