室町時代

室町幕府の成立

鎌倉幕府が倒幕された後、足利尊氏が勢力を伸ばしていきます。後醍醐天皇は足利尊氏が力をつけ過ぎることを警戒して新田義貞を差し向けますが失敗します。朝廷を敵に回した尊氏は一時九州に退避しますが、20万人という圧倒的な人数で挙兵し、湊川(兵庫県)で新田義貞と楠木正成(くすのきまさしげ)の率いる朝廷軍と戦い、勝利をあげます。そのまま京を制圧し、後醍醐天皇は天皇即位に必要な三種の神器をもって南の吉野(奈良県)へと逃亡します。新たに光明天皇が即位し、足利尊氏は征夷大将軍となり、1338年に室町幕府が成立します。

南北朝動乱

都が制圧されて敗走した後醍醐天皇は三種の神器を持っていることから自身の正当性を主張し、吉野に南朝を建てます。北朝の光明天皇と、南朝の後醍醐天皇。同時に2人の天皇が存在する事態となります。それから南北朝の対立は60年もの間続くことになります。京の都を奪われた南朝は全国のネットワークを通じて京奪還に一致団結します。一方北朝は内部分裂が盛んに起こっていました。そして弱体化した北朝の足利尊氏は南朝に降伏します。しかし、隙をついて裏切り、南朝を攻撃。周辺の南朝諸国の援軍も間に合わずに足利尊氏が勝利。後光厳天皇をたてて北朝を復権させます。そして、足利氏三代目の義満が南北双方の天皇を一代ずつ交互に即位させることを条件に、ついに南朝との和平を平定します。

応仁の乱

足利義満の代以降の将軍は早死にしたりと安定しない時期が続きます。後継者に困った末、遂にはクジ引きで将軍を決めたりと将軍の権威は徐々に衰退していきます。そして8代将軍義政は息子に恵めれず、弟の義視を後継者に指名します。
その後に息子の義尚が誕生したため話がこじれます。
1467年、ついに義尚と義視の間で後継者争いが起こります。政治の主導権を狙った細川勝元が義視側に、山名宗全が義尚側につき、京が焼け野原になる大きな争いへと発展していきます。
10年近く武力衝突が続いた結果、9代将軍は息子である義尚が継ぐこととなりました。
しかし、この長期の争いで幕府の権威は失墜。下克上を狙った多くの大名たちが立ち上がり、戦国時代へと突入していきます。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする