安土桃山時代

応仁の乱以降、幕府の権威は落ちてしまい、大名同士の下克上を狙った争いが続きます。
そして、この混沌とした時代を終わらせるために、天下統一を目指した大名が出てきます。
織田信長です。

浅井長政と朝倉義景に姉川の戦いで勝利します。そして政教分離のため延暦寺を焼き討ちにします。そして、当時最強と言われていた武田信玄が病死します。これを期に信長は征夷大将軍の足利義昭を追放し、室町幕府は滅亡しました。

その後、長篠の戦いで武田勝頼に勝利、また抵抗勢力であった本願寺も攻め滅ぼすことに成功します。そして、西国の支配のため羽柴秀吉を派遣します。

本能寺の変

天下統一も後一歩のところで、信長は腹心であった明智光秀に本能寺で討たれます。

後継者争い

信長亡き後、羽柴秀吉は後継者争いで信長の孫を立てて実権を握ろうとしましたが、信長の三男である織田信孝と柴田勝家が抵抗するも、賤ヶ岳の戦いでこれを破ります。そして信長の二男の信雄(のぶかつ)と徳川家康の連合軍とも対峙。徳川側が優勢であったが、信雄が秀吉と和睦を成立させ、秀吉側が戦略的に勝利となった。

天下統一

そして、秀吉は朝廷から太政大臣に任じられ、豊臣姓を受けました。全国の領国を決める権限を秀吉が持つとする惣無事令を発布します。そして、これに反発するものを次々と倒し、天下統一を果たします。

秀吉の政治

太閤検地で全国統一基準による検知が行われました。地域ごとにバラバラであった計量升を統一し石高が正確に測れるようになったのです。そして、刀狩令で武士以外の武器が没収され身分制度が確立され、農民が武士になるなど転職が禁止されます。
そして朝鮮も支配下にいれようと出兵しますが明の兵士は強大で長期化します。1598年、秀吉が亡くなったことでそれ以降の朝鮮出兵はなされませんでした。

関ヶ原

秀吉が亡くなったことで幹部らの対立が起こります。石田三成率いる西軍と徳川家康率いる東軍に分かれ関ヶ原で合戦が起こります。これに勝利した徳川家康は天下人となって征夷大将軍に任命されます。そして江戸幕府を起こし、時代は江戸時代へと移っていきます。

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